山道を守り賑やかにする会

      ―人々が元気になることを願って―

         (山の自然を大切に、もっと大切なのは人間の元気です)

                    200568日現在 会長兼会員の私ひとりです。私が代表責任者です。



       私は趣味として山道の手入れをしています。

       山道で笹刈をしたり、シダを刈ったり、道に張り出して

      歩きにくくしている枝を切ったりしています。

       歩きやすく感じのいい道にして、この山へのリピーター

      がふえ、元気な人たちで賑やかになることを願っている

      からです。



         会長や代表責任者などの肩書きをつけている理由

       一人で活動しているのにたいそうな肩書きをつけているのは

      責任を意識して活動を慎重にするためです。

       ・山には必ず持ち主があります。国や個人です。

        私は誰の山かも分からずに手入れをしています。

        不用意に木を切りすぎて、抗議や訴訟されたりすることの

        ないよう、万全の配慮をしなければならないと誓っています。

       ・現在は地球温暖化が大きな問題となっています。つまり木を

        切ることはよくないことです。笹刈や木を切ることは必要

        最小限にとどめなければならないと誓っています。

       ・そんな制約がありながらも笹刈などをするのは、多くの人に

        来てもらいたいからです。元気になるからです。

       ・山に来て元気になれば、病気だった人でも薬などいらなくなり

        お医者さんに行かなくて良くなります。健康保険を使うことも

        少なくなります。社会保険事業の負担が軽くなります。

        そんな訳で私もいつかは厚生労働省から感謝状の一つも戴ける

        のではないかと考えたりしています。

       (ウソですよ。誰も誉めてくれません。もともと地主に悪い事を

        しているからです。)



         ともかく代表責任者の名において「節度ある山道の

         手入れ」に徹したいと考えています。







       私の山道の手入れの基本的なルール



      ・ 手入れは道として使われているところと、前に道だっ

        たところにかぎってしています。

         前に道だったところは笹や木の処理をさせていただき

        ますが古い切り株などを基準にしてそれ以上広げない

        ようにしています。



      ・ 道は広く、大手を振って歩けるようにを目標にして

       います。(許される範囲で)

         私たちはシャバでは気を使って肩身の狭い思いも

        しています。山ではのびのびと大手を振って歩いて、

        ストレスを解消したいものです。

         太い大きな木など切らなくても山道はけっこう広くなる

        ものだと感じることが多いのが実際です。

         木の後ろの笹などを処理すれば見通しが良くなることで

        広く感じます。



      ・ できるだけ木は切らないことを心がけています。

         彼ら(木々)は山に長く住んでいるから切りにくいもの

        です。地球温暖化問題との関係もあり注意深くしています。

         山道の手入れをしていると感謝してくれる人が多い中で        

        超自然愛護ともいえる『草一本切ってはいけない』という

        考えの方もいますが、山道はもともと誰かが手を加えた

        ものです。

         このような極端な考え方で私たちの草刈などに文句を言う

        人もいますが、山への人の手入れを嫌うなら山道は歩けない

        のだと言えるのではないでしょうか。

        ケモノ道かまったく道のないところをどうぞお歩き下さいと

        言いたいのです。

         (ある無理解な人の言葉に対する大変腹立たしい思いが

          まだ残っています)

         (近くに山道だったところが笹に覆われたところを見つけて

          います。今度そのようなことを言う人がいたらご紹介したい

          と考えています。笹を切る刃物なしではまず立ち入れない

          ところです。興味のある方は有功が丘の池の北東に登山口が

          あります、どうぞ。)

         私は山道の草や笹を刈ることで起こる温暖化よりも、

        歩く人の健康のことを優先的に考えています。

         気持ち良く山を歩けば元気になるからです。



      ・ 女の人でも安心して歩ける道を目指しています

         山であった若い夫婦と思われる男女や、

         女性二人のパーティーの方が

        『ここの道は手入れがよくて気持ちよく、安心して歩ける』

         といってくれました。

         よかった、分かってくれていると実感できる言葉でした。

         この人たちは大阪からこられたそうです。

          ようこそ紀泉高原へ。

         私たち和歌山の仲間が可愛がって手入れをしている山へ。



       ・ 曲がった道の見通しを良くすることも気をつけています。

         木を切ることはありませんが、笹や枝を切れば見通しの

         ジャマをしている出っ張りを少なくできます。

         見通しが悪いと不安感をさそいます。



       ・ 山道を狭くするシダや笹は場合によっては切らせて

         もらいます。

          特に山側に生えるシダは壁を形成して道を狭くします。

         また道に生えるしだは足元を見えなくします。そのために

         ヘビがいるかいないかの確認ができません。歩く人にとって

         気持ちの悪い状態になります。ストレスを生みます。

          足元の確認ができるように広い目に刈らせていただいて

         います。



       ・ 木々から垂れ下がっているツタはできるだけ処理します。

          ツタが多いとお化け屋敷を連想させて気味悪い感じが

         してもう一度来たいと思う気持ちをなくすからです。



       ・ 道の真中に立っている木を切ることもあります。

          このような時は、なかなか決断できません。

         彼もまた私と同じ生き物だからムゲに切れないのです。

         そこを通るたびに考え、自分に切る資格があるか何度も

         問い直し「やっぱり、みんなが歩くジャマニなる」ごめんと

         謝って切らせていただきます。

          こんなとき私は貧乏籤を引いたと感じます。

         誰かがこんなに太くなる前に切っておいてくれれば

         私が切らなくても良いのにと。

          そこまで考えて、木にまたお詫びしなければなりません。

         「おっちゃんが けえへんかったら おまえも長生き

          できたのに」と。

         彼(木)はみんなが喜んで歩ける道にするための被害者です。

          『ごめんなさい』

         悪いけど、私には、歩いてくれる人間の健康のほうが大切です。

 

       山歩きをして、会う人とはなしをして、意見の一致する

      ところは『山を歩けば元気になる』ということです。

       元気は、歩く人に山がくれる贈り物です。



       山は一度歩いても気持ちのいいものです。心の癒しも

      感じ取れます。

       しかし『元気になる』というほどの効果に気付くのには

      相当長期間山歩きをすれば、ということが条件だと考えてい

      ます。

       癒しの力を持つ山といえども、一度の山歩きで元気を貰える

      ほどの魔法のような力はないと言えます。



       そのようなわけで私がリピーターが増えて欲しいと考えるの

      です。元気な人が増えることが大きな望みです。



       私たちが笹などの手入れをし、誰かが急な坂に階段を作り、

      他の人は道しるべを作るなどしています。

       ボランティアとして歩きやすく、分かりやすくしているのは、

      また来てほしいからです。

 

       一人歩きの女の人とお会いすることもありますが、

      「手入れがよく、道しるべも多く安心して歩けます」と

      言ってくれることもあります。

       大変うれしい一瞬です。また頑張ろうという気持ちに

      なります。

      

       前に山であった山歩きのベテランの人が私の持っているカマ

      などを見て「何か取ってきたのですか」と尋ねるので、山道の

      手入れをしてきたことを話すと。

      「そのようにしてくれる人がいるからこの山は歩きやすい

      のですね」と言って御礼を言ってくれました。



       私の目標は歩く人にとって手入れの目立たない刈込です。

       手入れをしている時によく考えるのは『手入れされている

      ことさえ気付かず、楽しく歩いている人たち』を想像して

      それにふさわしい手入れをすることです。

       できれば人に見つからない黒子にってっしたいけど、手入れが

      休日しかできない悲しさ、人に出会うこともあります。

       できるだけさりげない言葉を掛けるようにしていますが、

      遠来の方のたいそうなお礼には

      『地元のものとしてお客様をもてなす接待のつもりです』と

      お伝えすることもあります。そのような人は自分も何かしなければ

      という雰囲気で、立ち去りがたいというような態度になる事も

      あるからです。お客さんに気を使わせてはならない。私の信条です。

           気楽にまた来てもらいたい、それが本心です。

 



        いろいろな人にお会いして、声を掛けていただいたり、お話をして

       大変楽しい思いもします。それが私の元気の元かもしれません。



        ボランティアをすれば、人は幸せになります

                          (参考文献 脳の健康意訳)



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